元気夢工房

yahooブログからのお引越し 写真を中心に町ぶらです。

両親と暮らす難しさ・・・

私は現在90歳になる母親と93歳になる父親と3人で暮らしています。


私は高校卒業後自営業(牛乳販売店)を引き継ぎそれなりに仕事をしていましたが、
一人暮らしに憧れはじめ23歳になってから親の意向にそむいて勝手に家を飛び出し香川県高松市で一人暮らしを始めました。


憧れだけが先走りし一人暮らしの寂しさを仕事をすることでまぎらわせていました。
そう、あの時は若かったから・・・


一人前に彼女もでき人を愛する意味を知りました。
その後約2年間付き合いささいな理由で別れてしまいました。
私は今でもあれほど愛した女性はいないと思っています。
愛するゆえ私のとった言動が彼女にとって重荷になってしまったのでしょう
一日も早く彼女のことを忘れようと数人の女性と付き合っていましたが、どうしても
元カノのことが忘れられずうわべだけの交際が続きました。


そして私が33歳になったとき10年付き合っていた彼女と結婚することを決めました。
結婚したとき笑顔のたえない明るい家庭をきづこうとできるだけの事を一生懸命頑張って働きました。長年勤めた会社が不景気による会社倒産の危機のひんし解雇となりました。
その際元妻と相談したあげく老人介護の世界に飛び込みました。
当時私にとって老人介護職は未知の世界で何からはじめればいいのか全くわからず何かにつけトイレに逃げ込んでいました。しかしながら働いている以上何かをしなければならない!
そう考え先輩達の行動を観察し見よう見真似で介護らしき事をようやくはじめました。
老人介護の仕事は私の想像をはるかに超え全く心に余裕がなかったかな!?
先輩達は楽しそうに仕事をこなしていましたがついていくのが大変でした。
そんなある日介護施設の運営方法に疑問を持つようになりました。
新米ながら生意気にも施設改革の必要性を先輩達に問いかけ私の意見が徐々に理解されていきいつの間にか主任に抜擢され仕事はますますハードなものになりました。早出、日勤、遅出、夜勤と4交代し家庭のことなど振り返ることができなく元妻とはすれ違いの生活になりました。そうなる事も元妻には話していたのに・・・・・


そしてその日から仕事が手につかないようになり解雇されることとなりました><
いくつかの職探しにおわれ焼き酒を飲んでは自分をごまかしついにうつ病になってしまい
私の人生は詰んだなと思いだしたとき母親ら電話があり父が病にふせたので至急実家に帰って欲しいとのこと
その時私はある意味ほっとしました。実家に帰り商売を続け両親と仲良く暮らすことができると救われた気持ちでいっぱいでした。
そして両親と一緒に暮らしこれで安心できると思っていたはずが年月が過ぎていくうち両親の束縛が激しくなりどこかに出かけるときもどこへいくのか?誰と行くのか?何をするのか?ことこまかく説明しどこへ行っても必ず母親から連絡電話がかかってくるようになり母親の存在がうとましく思えるようになりました。母親からしてみれば私の身を案じてのことと言われれば返す言葉がありません。


私から言わせればもう還暦が近いのにいつまで干渉されつづけいい息子でいなければならないのか!
その怒りを両親に向けるようになりました・・・・
親孝行とはなんぞや?両親を安心させることはなんぞや?
自分の楽しみを犠牲にしなければならないのか?
それから私は引きこもるようになり、うつ病がひどくなっていき毎日のように両親とケンカするようになりストレスがたまる一方。


うつ病はお前の心が弱いからだと叱る父。
もうついていけない
両親にお互いのため別居しようと話ましたが聞き入れようとせず何かといえば用事を頼まれ無視すると「あいつには優しさがない!」「何歳になっても子供は子供」両親の過干渉に疲れ果て楽しいはずの一人暮らしも両親と同居も夢の夢・・・
私の意見は間違っているのか?両親の言いなりになり引きこもって暮らすことが親孝行になるのか?


また明日もケンカになるのか?
わけわからん。


長文になりましたが、ブログに自分の思いを書くことで少しは気持ちが楽になりました。
最後までご覧いただいた方には感謝します。
ありがとうございました!

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